コンプレックスは潰すべき?受け入れるべき?
今日はそんなにBADに入ってないので雑談というか普段考えてることでもつらつら書いていきましょうか。
コンプレックスについての持論でも。
自分のこと好きですか?
「はい、大好きです!」ってなかなか言えないんじゃないかなぁて思うんですよね。
もちろん、自分のことが好きで自信満々の人もいるのは知ってるんですけど。
誰しも多かれ少なかれコンプレックスがあるんじゃないかなぁと。
コンプレックスって相対的で主観的ですよね。
他人との比較で生じて、自分の色眼鏡を通して顕在化する、みたいな。
だから何かのコンプレックスを相談した人に対して
「もっとひどい人がいるよ」
とか
「俺のほうがつらいよ」
みたいなアドバイスって、ちょっと相手を傷つけちゃわないかなぁと。
少なくとも僕は自分の
身長、体型、顔面、体毛、性器、性格、まあたいていのものは好きじゃないんですよね。だから写真を撮られるのは本当に嫌だし、実は温泉とかもあんまり一緒に行くの乗り気じゃないんです。でも旅して酒飲むのは好きなので誘ってくださいね。
ふと考えるんですよね。今の自分のコンプレックスを全部潰したら、俺は本当に自信を持って生きていけるのかなと。
高身長、細マッチョ、イケメン、つるつる、デカチンになったとき、本当に僕って幸せになるのかなと。
多分ならないです。
コンプレックスを克服したその先には、今の僕が想像もしてなかったコンプレックスが生まれると想像してます。
まあでも整形とかを経てコンプレックスを克服して幸せそうな人もいるので、これも人によると思いますが。
ちょっとまとまりないですね。文章下手ですみません。そろそろ締めますね。
いろいろ書いてきましたけど、コンプレックスのことを考えるときには僕の父親(故人)の言葉を思い出しちゃいます。
僕の父親は身長が低くて高卒なんです(ちょっと特殊な人生でしたがこれはおいおい)が、46くらいで死んじゃったんですよね。これは死ぬ…うーん、2、3か月くらい前の会話かな…。
当時の僕って高校生でかなりコンプレックスに敏感だったんですよね。
特に父親に文句言ったわけでもないんですけど、そういう話はしたことあって。
そこで言われたのが、
俺がもし、身長も高くて高学歴だったら、多分今の俺になってなかった。多分お前もこの世にいない。
正直、そのときは「ふーん」って感じでしたけど…。
何か今になってみると、いろいろ感じることあるなって思います(笑)
結論、コンプレックスがあるからこそ、その人はその人足り得るのだと思います。
多分例外の方もいるでしょうけど。
コンプレックスを克服するために努力するあなた、コンプレックスを受け入れるあなた、どちらもあなたなんじゃないかなと。
「自分のここは絶対にどんな手をつかっても潰す!」「こんなこともう気にしない!」
どっちも正解だし、正解じゃないです。
~べき論で語れないですよね。
まあ…コンプレックスはないに越したことはないかな、とは個人的に思いますけど。
酔っぱらいの乱文失礼しました。